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儲かる「開業」社労士を目指し、塾長 中島 先生のもと、相互研鑽に努める中島塾がタイムリーな話題をお届けします。 社労士開業をして間もない人、これから開業を考えている人、我々と一緒に頑張りましょう!!

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中島康之 開業物語 第22話「開業1年・手揉みパートⅡ」

2011 - 08/26 [Fri] - 18:22

中島康之 開業物語 第22話「開業1年・手揉みパートⅡ」

給与計算を受託している先でこんなことがあった。
社長に計算の確認するため氏名など伏せてFAXを送った。
氏名も伏せているし、内容も見ただけでは分からないと思ったからだ。

明日、社長から電話があった。
「中島さん・・・・えらいことしてくれたなぁ~!!!」
いつになく語気が強い。
私はさっぱり意味がわからなかった。
「中島さんがなぁ~昨日送ったFAXを朝早くきたパートが見てしまった
んや・・・」
???名前とか伏せているので見ても問題ないはずだ!
「この手当は一人しかつけてないのでバレてしまったんや・・・」
えっ~!一人しかない手当なのか・・・
給与明細には手当の名称もつけてなかったが、質問の内容で想像できた
わけである。
「FAXを見たパートが私にはつかないのか?言って詰め寄ってきたんや!」
社長は続けて「こうなったら全員につけないと治まらへんようになって
しもたんや!」
「本当にえらいことしてくれはったわ!!」
心臓が止まるかと思った。

すぐに会社に飛んで行った。
会社に行くまでの電車の中で相当落ち込んでいた。
「どう言って謝ろう・・・」「許してくれるだろうか・・・」
いろんなことが頭をよぎった。

会社に着いたらそれまで考えていた言葉など飛んでしまいとにかく誠心誠意
謝った。

そうすると社長は「しゃ~ないなぁ・・・これからきいつけてや」といって
許していただいた。

このことがあってから、FAXは当然、郵送する際にも他の人が見ないように
相当気を使うようになった。
例えば先日も給与情報が入っている資料を社長に送る際には、資料を封筒に
入れ封緘した上で「緘」のゴム印を押し、ユウパックで送った。

我々の情報は必ずしも経営者にとって有益な情報ではない。
恐らく「労働基準法」は大半の経営者には喜ばしく思われていないのだろう。
労働基準法改正の情報をFAXで送ると給与計算FAX事件の二の舞になり
かねない。

ストレートに「法違反」のことを言うと「あんたは労働者の味方か」になる。

手揉み営業で経営者の言うことを全て聞き入れると法違反を幇助することになる。
だからといって、法違反だともストレートに言えない。
しかし、「法違反」をそのまま見て見ぬ振りしておくこともできない。

そこで考えたのが取り敢えず一旦受け入れることにして、ちくちくとトラブルの
事例を話すことにした。

「社長のところの従業員さんにはいないと思いますが、監督署に駆け込む人も
いてて、この間も他の会社で残業代○○万円支払うことになりまして・・・」

こちらも相手を見ながら労働トラブルの話しをするのである。
それも「小出しに」して。

そうすると、やっぱり気になるのであろう「中島さん、残業のことやけど・・・」
どの社長でもやっぱり気になるのは残業代の問題だ。
そうすると徐々にではあるが法律どおりに見直ししていただける。

手強いのは、ちくちく小出しにして話しするが一向に堪えない社長だ。
全く改める気がない先と付き合っているとこちらも危なくなってくる。
こういうケースは、それを判断した時に丁重にお断りすることにした。

これは事務所経営でとっても重要になる・
その意味は・・・つづく

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中島康之 開業物語 第21話「開業1年・手揉み」

2011 - 08/25 [Thu] - 20:07

中島康之 開業物語 第21話「開業1年」

開業して1年が経った・・・
開業半年の売上は「26万円弱」である。
※半年間の合計である。

しかし、半年が過ぎてから徐々に売上があがってきた。
第13話でもそのことに触れたが1年後には月の売上が40万円
になった。
売上が上がりだしたのは自分のスタイルを変えたからと第13話
で語ったが理由までは語らなかった。

何故、スタイルを変えたかである。

開業直ぐは、社会保険労務士も営業しなければならないから
「営業」に徹しようと考えた。

しかし、半年間の営業結果が物語っているよう「自分に合わない
スタイル」で営業しても効果が半減すると感じた。
そして実はしんどかったのである。

なにがしんどいかというと、自分に向かないスタイルをしている
からだ。

なにがうまく行かないかは「経営者の要望」は社会保険労務士
として相反することが多いからだ。

手揉みで社長に会って社長の要望を聞き入れると「法違反」を
容認し、幇助することになるからである。

そこで私は考えた。
「これからは自分スタイルで行こう。」

どういうスタイルを変えたかであるが、手揉みは止めた。
※お間違いのないよう「実際に手揉み」してはいない。
気持ちが「手揉み」なのである。

どうしたかというと、法違反のことは勇気を持って言うことにしたのである。

ある会社でこんなことがあった。
税理士さんの紹介で伺ったある会社で社長から相談を受けていると
こんなことを言われた。

「中島さん、あんた従業員の味方か?」

私は即座に「社長、私は何も従業員の味方をしている訳ではありま
せん!しかし、法律があるので・・・」

経営者は「わかった!もうええわ!帰ってんか!」と言われたことが
あった。

ご紹介を受けた税理士さんには平謝りでお詫びした。

お客さんを怒らしては売上があがらない・・・
どうしたらいいんだろうか・・・・・
結構悩んで答えを出した。

つづく


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中島康之 開業物語 第20話「天然ボケの父親」

2011 - 08/15 [Mon] - 20:45

中島康之 開業物語 第20話「天然ボケの父親」

私の父親の天然ボケ振りは第16話でお話ししたとおりである。

私の父親は大阪市の公務員であった。
当時は早期退職制度があって55歳で大阪市を定年退職した。

父親は永く水道局に勤務していたが、当時はめずらしく局間を異動し
経理局で定年を迎えた。

昭和6年生まれなので今年で80歳になる。

今、思えば今の私の歳の2年後である・・・・

場面は当時の東北支部の先輩との話しに遡る・・・
『中島さん、開業して営業の方はどうですか?』
東北支部のO先輩から声をかけられた。
『いまローラー作戦で飛び込み営業をしています』
私は答えた。
『そう・・・ローラー作戦ねぇ~。ところで成果は?』
先輩の質問に答えは窮した。
実は成果がなかったからである。
先輩は答えに窮している私を察して
『ローラー作戦もいいけれどもっと効率よく営業しなければねぇ~』

その先輩は社会保険労務士と行政書士の資格を持ってられた。
話しを聞いていくと、行政書士は公務員の行政事務を15年勤めていたら
資格が取れるとのことであった。
その先輩は大阪府庁(確か)に勤められていて行政書士の資格を無試験で
得たとのことであった。
いろんな話しをお伺いした・・・

私は事務所(実家)に帰り直ぐに父親に行政書士の資格申請をして欲しい
とお願いした。
私の社会保険労務士の仕事に少しは役立つのでは?と思ったからだ。
あまりに唐突だったので父親はなんのことか分からなかったが、O先輩の
話しをしたのである。

事情がわかった父親は翌日即刻行政書士会へ行った。

父親は何度も行政書士会へ訪問した。
何故なら提出する書類にことごとくダメ出しを受けたのである。

普通なら投げ出してしまう程であったと記憶しているが、持ち前の天然ボケ
で行政書士会の事務員と仲良くなり『ツボ』を聞き出してなんとか登録がで
きた。

一時期、「行政書士事務所併設」という名刺を持っていたことがあったが
結局は父親の行政書士資格は大きくは役にたたなかった。
※父親の名誉のために私の顧問先で建設業の会社の許認可をしてもらった
ことがあり、いまでも続いている。

60歳を過ぎていた父親に『行政書士は僕の仕事に役にたつと思ってのこ
とやからほどほどにしときや』と言っていた。

積極的な営業はしていなかったと記憶しているが、地元の建設会社やクチ
コミでぼつぼつお客さんが増えていったようであった。

しばらくすると父親が『ワープロ買おうと思うねん?』って言い出した。
これには真っ向から反対した。
当時はNECのPC機が全盛期で、私の事務所のパソコンもNECの98機
であった。当然に文書入力はワープロ専用機が全盛でインクリボンの時代で
ある。
そんな時期だったので私は『やめとき!絶対にただの箱になる!』
といってきつく購入を止めさせた。60歳を過ぎているからである。

そんな父親は私に言うと怒られるのでこそっとワープロ機を購入したので
ある。

そんなやり取りをしてずいぶんしてから父親が『こんなんできたでぇ~』
といって文章を見せるのである。

またまた絶句である。
『ワープロ買ったんかいなぁ!』
しかし差し出した文章を見るとよくできている。
トーンが下がった私は『もぅ~ええかげんしときや!でもようできてるで!』
私は言った。

父親は『えへっ』と満面の笑みであった。

そんなことがあり、またまた暫くして父親が『なぁ~・・・パソコン買おうと
思うねん・・』といいだした。
さすがにこれは『ワープロは確かに使えると分かった!でもパソコンは絶対
止めとき!買ったらもう口きかへんでぇ~!!』
パソコンの難しさをずいぶん説明した。
そして止めるように相当きつく言った。
絶対に「ただの箱になる」パターンである。

この時期は私は事務所を移転していた。
だから父親がパソコンを購入したのがわからなかった。

性懲りもなくまたパソコンを購入したのである。
インターネットのつなぎ方もわからない父親だが、販売店の店員や、NTTの
社員とも仲良くなり暫くして実家に行くとなんとインターネットをしているで
わないか!
父親は
『よぉわからへんけど、販売店の店員に「わからへん。どないしたらいいねん?」
ていったら直ぐに来てくれるでぇ~。ほんでな「通信環境の設定もNTTに電話し
ようわからへん?どないしたらいいねん?」っていったら直ぐにくるでぇ~。わし
お金払うっていうけどみんな「いいです」っていうねん。』
どうしようもない天然ボケの父親である。

私は間違いなくパソコンはただの箱になると信じていたが80歳近くなっている
父親はなんと『行政書士の申請がややこしくなってなぁ~、電子申請でなければ
受付へんねん。府庁も不親切やなぁ~』といいながらパソコンで電子申請をして
いるのである。

私は子供の頃は身体が弱かったのでずいぶん両親に迷惑をかけた。
物心ついたときでは高校生のときに悪さをして停学になったりしずいぶん心配を
かけた。
停学になったときにもなにも言わなかった父親である。

いまはきっと私に隠れてなにかIT機器を購入しているに違いない。

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中島康之 開業物語 第19話「不思議なご縁 パート2」

2011 - 08/14 [Sun] - 20:58

中島康之 開業物語 第19話「不思議なご縁 パート2」

当時、東北支部に所属していたときの話しである。

開業して数年のことだったと記憶している。
(平成10年に西天満に移転したので、恐らく開業2~3年目だと
思う。)

東北支部の副支部長が急逝された。
お悔やみの式も滞りなく済んだ。

しばらくすると東北支部の支部長から『中島さん、○○副支部長
がお亡くなりになられたが、どうも依頼を受けている仕事が滞っ
ているらしい。手伝ってくれるか?』
という電話があり、即答でお手伝いさせていただくとお答えした。

支部長から指示された事業所は守口にある運送会社だったと記憶
している。
社会保険の新規適用の依頼だった。

何度か会社に訪問し手続きを進めていたが、そうすると支部長から
『中島さん、悪いけど今の仕事止めてくれるか!』とのことである。
どうも、○○副支部長の事務所を引き継ぐ方がおられたようである。

会社との手続きの話しは進んでいたが、支部長からストップがかかっ
たから仕方がない。

その旨を受け持った会社にお伝えした。
会社の社長も了承していただいた。

しばらくして、その会社の社長から『私の顧問税理士が社会保険労務
士を知らないかと言っているので中島さんを紹介したい』と電話があ
った。
私は『社長、お間違えになっていませんか?私は引継ぎで伺った者で
いまは違うと思います』とお答えした。
そうするとその社長は『わかっています。中島さんの対応が良かった
ので紹介したいのです』とのことである。
※自分の会社は?とつっこみたかったがそんな立場ではない。

ありがたくお受けして税理士さんをご紹介していただいた。

直ぐにその税理士さんに電話し事情を伺った。

『○○社長のご紹介ですね。急ぎで○○会社に連絡して欲しいんです
・・・こんな事情で・・・』
からのおつき合いが始まり、その後Y先生から何件もご紹介を受けた。

しかし、このY税理士先生とは一度も会ったことがなかった。

私もご紹介を受けているのでY先生の守口の事務所に何度も伺ったが
いつもご不在だった。

しばらくすると枚方に事務所をご移転された。

そんな面識がないことが永らく続き、いつも電話でご相談を受けていた。

そんな中でY先生のご紹介先でちょっと問題が起こり、Y先生とお打ち
合わせしその会社で会うことになった。

お互いに会社の社長は知っている(元々Y先生の顧問先)がその場で
『やぁ~中島さん、永らくおつき合いしていますが初めて会いました
なぁ~』と名刺交換したのである。
同席していた社長は豆鉄砲を受けた表情であった。

Y先生とはいまでもおつき合いしているが後にも先にもY先生とお会
いしたのはこのときだけである。

そんな関係だがいまでもおつき合いがある。

不思議なご縁である。

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中島康之 開業物語 第18話「不思議なご縁」

2011 - 08/14 [Sun] - 20:18

中島康之 開業物語 第18話「不思議なご縁」

第17話から続く

加藤先生のマネのニュースである。
考えた挙げ句「郵便」で送ることにした。
何故なら、我々の情報が必ずしも経営者が喜ぶ情報ばかりでは
ないからである。
第17話のような「年次有給休暇の初年度付与要件が「1年」から
「6月」に短縮になった」情報は経営者にとっては余計なお世話
なのである。

しかし、法律であるので守っていただかなければならない。
経営者にこれをどうして理解させるかはまたの機会に話しする。

ニュースの送り方の極意については
『中島塾ブログ版:営業道場no8「顧客を獲得する営業方法ver5」』
2011/0127
を見て欲しい。

私がラッキーだったのは加藤先生との出会いであり、顧問先のご紹介
を沢山いただいたのである。

加藤先生へのご恩返しはずいぶん経ってからであるが・・・・

開業1年経った平成6年の8月の売上は40万円を超えた。
その前月までは20数万円しか上がらなかったのにである。

その後、40万円を下ることはなかった。

加藤先生のご紹介は大きかった。

『足を向けては寝れない』とはこういうことを言うのだと実感した。

しかし、加藤先生とのおつき合いは『研鑽しあうライバル』であり、
なんでも話しできる『友人』であった。
※私より少し年上であるが・・・・

こんなことがあった。

事務所を持たない私は早く事務所を持ちたかった。

平成7年の5月に実家開業であった私は本当に小さな事務所であるが
移転した。
家賃は8万4千円のところである。
私の開業人生で一番嬉しかった。
※事務所移転の経緯でいろいろあったがこれは又の機会に話しする。

すると、しばらくして加藤先生が事務所を移転された。
実際はよくわからないが『中島さんに負けてられへん』とおっしゃてた。

先生と事務員のお二人なのに『ガラン』とした大きなところだった。
※表現が悪くてごめんなさい。

今の堂島浜の事務所に移転するのも加藤先生のアドバイスからであった。
顧問税理士である加藤先生に西天満の事務所が手狭で将来を考えると
移転したいと話しし、借入の返済が終わってから移転したいと相談したら
『中島さん、借入金の返済のこと考えてたらあかん。返済を終わるのを
待ってるんやったら今移ったら?』とのお言葉で決断した。

そうすると私が移転してから暫くして加藤先生も事務所を移転された。

いつまでも『良きライバルであり』『良き友達であり』お互いに研鑽し
あって向上したいと願っている。
※本当は話し尽くせないことがいっぱいあります。

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中島康之 開業物語 第17話「不思議なご縁」

2011 - 08/14 [Sun] - 18:49

平成5年4月に開業(実質的には7月)した私はとにかく営業に徹した。
しかし、思うように売り上げがあがらない。
焦りを感じながら1年が過ぎようとしていた。

私が開業してから現在でも大変お世話になっている税理士さんがいる。
私の開業人生においてこの人なしでは語れない。

開業してからいろんな方にPRをした。
当然、実家開業だったので地元の方にも「社会保険労務士」をしている
ことをPRした。

すると、実家の並びの数件隣の方が「私の遠縁の方だが税理士を開業
していて、社会保険労務士を探しているので一度引き合わせたい」と
のお話しがあった。
開業間なしの私には大変有り難い話しである。

その方をつうじて、税理士の加藤先生を紹介していただいた。
加藤先生は平成5年の1月に、いままで十数年お勤めされていた会計
事務所を円満退職され独立されたところであった。
加藤先生のお考えは「税理士でも社会保険のことをしている方がおら
れるが、私はこれからはどんどん社会保険が難しくなっていくので専
門家に任せた方がよいという考えです。」ということで社会保険労務士
を探しておられたのだった。
また、タイミングもよかった。

加藤先生は、前職の会計事務所でのお客様を1件引き継いだのみの独立
でこれからどんどん営業していかなければならない状況だった。
私が知り合ったときには天満橋に事務所を持たれていて事務員もおられた。
あとから聞いた話であるが、あてもなかったが「形から」入った方が
よいと考えたので事務所を構えられたのである。

とても勇気ある考えである。

当時、仕事がない私は加藤先生とよく会った。

加藤先生も当時はそれほど仕事がなかったのである。
加藤先生とは「中島さん、どうしたらお客さんを獲得できるか・・・」と
いう話しをよくした。

加藤先生が「こんな方法で顧客が増えたよ~」といわれるとすぐマネをし
た。
実は「毎月のニュース」は加藤先生のマネである。
税務情報をFAXで送ってられた。

「中島さんも送ったら効果あるよ」
と言われたが少し考えた。

税理士さんが送る情報は、会社の社員に見られても問題がない。

しかし、我々の情報はそうはいかない。

例えば、平成6年4月には大幅な労基法改正があった。
年次有給休暇の初年度付与要件が「1年」から「6月」に短縮になった。
こんな情報をFAXで送る訳にはいかない。

そこで考えた挙げ句「郵便」で送ることにしたのである。
(続く)

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中島康之 開業物語 第16話 「開業半年」算定基礎説明会の前でチラシ配り

2011 - 08/03 [Wed] - 21:13

中島康之 開業物語 第16話 「開業半年」算定基礎説明会の前でチラシ配り

私の開業登録は平成5年4月である。
しかし、前職(円満退職)の事情で実際に会社を退職したのは平成5年の6月
末であった。
その当時、算定基礎届は5月、6月、7月の3か月で算定していて、提出
は8月であった。
各社会保険事務所は、届出の前に算定基礎届説明会を開催していた。
当時の開催時期は7月である。
7月に開業して間なしの私は毎日飛び込み営業をしていた。
この時期に算定基礎届の説明会があるのは前職のときから知っていた。
そこで、考えたのは「算定基礎届説明会に来られる方々にチラシを配ったら
どうだろう?」だった。
開業当初は自宅(都島の実家)での開業であったので、定年退職をしている
父親がかなり心配をしていた。
子供の頃から自立心が強かった私はあまり親の言うことを聞き入れなかった。
そんな性格を充分に分かっている父親は私が前職を退職するときには一切な
にも言わなかった。
(少しは「大丈夫かぁ~」みたいなことは言ってたかも知れない)
でも心の中では相当心配していたに違いない。
開業して分かったことだが、私が不在のときに父親が事務所の電話を取るこ
とがあった。
どうも声質が似ているようである。
父親は最初は「中島は外出しています。」と答えていたようだが、声が似て
いるからか父親が電話に出たら先方が私と思っていきなり話しをすることが
あった。
数少ない電話ではあるがかかってきた電話に出るときがあり、自分が息子で
はなく父親であることを説明するのがめんどくさくなって私になりすまして
電話応対することがあった。
誤解しないよう。父親にはかかってきた電話には出ないようきつく言ってい
たのに勝手に電話に出るのである。
私は結構早い内から電話代行をしていたのだが、その電話代行をお願いする
少しの間のことである。
ある日、私が事務所(実家)に帰ってくると父親が「○○さんから電話かかっ
てきたで!先方はお前と間違えていたようだったから、話し聞いといたでぇ~」
である。
私は絶句した。
どうしようもない天然ボケの父親である。
当時の顧問先と言えばたった1件の石原梱包様であった。

話しは算定基礎届説明会に戻る。
チラシ配りを考えていた私はせっとコピーをしていた。
私のしていることに口出しすると怒られるので小声で「えらい数のコピーして
るけどなにしてんねん?」
私は無視をした。
これに答えるといちいち口出しされるからである。
準備ができて城東社会保険事務所の算定基礎説明会の日がきた。
開催日は2日間だった。

父親に見つからないよう大量のチラシを持って算定基礎届説明会の会場に行った。
会場の前で説明会が終わるのを待っていた。

説明会が終了して大勢の方が会場から出てこられた。
「よろしくお願いします!」と言ってチラシを配った。
会場の出口が2箇所あったので全ての方にチラシを配ることができないが仕方
ない。
一所懸命チラシを配っていて、ひょっともう一つの出口をみるとなんと父親が
チラシを配っていた。
「また、勝手なことして!と一瞬思ったが、実は有り難かった。」
いままで父親とはあまり会話することがなかったが、このときほど「ああ~子
供のことを思ってくれてるんかなぁ~」としみじみと感じ、熱いものがこみ上
げてきた。
2日間のチラシ配りが終わったが、結果1件も問い合わせがなかった。
しかし良い経験をした。
実際に顧客にはつながらなかったがこのことはいまでの父親に感謝している。
いまの私の糧になっている。

さて、天然ボケの父親であるがお陰様でいまでも健在である。
いま行政書士をしているが、またの機会に何故父親が行政書士をしているか話
しする。


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中島康之 開業物語 第15話(その5) テレワーク相談センター

2011 - 07/31 [Sun] - 19:41

中島康之 開業物語 第15話(その5) テレワーク相談センター

(その4)から続く

2011年7月22日(金)10:47分新大阪駅を滑るように「のぞみ」
が発車した。
東京行きの新幹線の車中に私はいた。
新大阪を発って京都、名古屋と時刻どおりに新幹線のぞみ号は東京へ向け
走っていく。
私は車中で大阪でのテレワーク相談センターの話しをどう進めようか考え
ていた。

今回、上京する目的は社団法人日本テレワーク協会へ行き、大阪テレワー
ク相談センターの存続を交渉するためである。

定刻通りの13時27分に東京駅に到着した。
とても暑い東京を予想していたが以外とそうでもない。
涼しいとまでは言わないまでも暑くはない。

東京駅のホームで10年前のことを思いだした。

少しばかりの苦労を思い出して、中央線ホームへ向かった。
日本テレワーク協会は今年麹町からお茶の水へ移転したが、麹町に行くに
はいつも中央線に乗り四ッ谷から歩いて行ってた。
最近感じたことだが東京の人は歩かないことに気が付いた。
まず、四ッ谷から歩くという発想はないようである。
この話は別の機会にする。

お茶の水の着いて、日本テレワーク協会へ行く前に顧問先にアポイントを
入れていた。
社長は不在だったが事務担当の女性に会って1時間半ほど話しをしてから
協会へ向かった。

協会には16時の約束をしていた。
到着し、10年来のおつき合いの柴田さんに面談をした。
新事務局長の方にもお会いした。

私の思いは、せっかく立ち上がった相談センター(大阪)を民主党の事業
仕訳に遭ったかもしれないが、残念でしかたがない。
当面の運営費は自前(私)でするので、社団法人日本テレワーク協会大阪
テレワーク相談センターを協会として公式に認めて欲しいとの要望である。
ただし、こちらからの協会への要望は「情報提供」「資料の無償提供」で
ある。

話しは直ぐに決まった。

ひょっとすると・・・東京へ行くこともなかったかもしれない。

まあ、柴田さんとは10年来のおつきあいなので気心も知れているので断
られるとは思っていなかったが・・・
でもこのような話しは直接会って話しするに限る!(経験上)
だから上京した。

こんな経緯で、引き続き協会の自主事業として大阪テレワーク相談センターを「自
前」で運営することになった。

10年前に思ったことであるが「こんなことして何か売上に役にたつのかなぁ~」

どうなるか分からないが、3年ぐらいは自費運営をして行きたいと思っている。

テレワーク相談センターの話しはこれが最終回です。

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中島康之 開業物語 第15話(その4) テレワーク相談センター

2011 - 07/30 [Sat] - 12:07

中島康之 開業物語 第15話(その4) テレワーク相談センター

(その3)から続く

平成16年に日本テレワーク協会から「在宅勤務導入の手引き」編集委員の声が
かかった。
その後、平成19年にも国土交通省、総務省、経済産業省、厚生労働省の4省所
管で発行する「テレワークガイドブック」の編集委員にも声がかかった。
編集委員長は東京工業大学の比嘉教授である。

また、同じ年に厚生労働省の受託事業「テレワーク勤務規程作成の手引き」も編
集委員になった。
この作成の手引きは全編私の執筆である。
このときの編集委員長は法政大学の諏訪康雄教授であった。
諏訪先生は労働政策審議会の座長をされている。

その後、諏訪先生とは厚生労働省テレワークセミナーの講師で一度ご一緒させて
いただいたことがある。
私のことを覚えて下さっていた。
とても嬉しかった。
諏訪先生の講義の中で「社会保険労務士に相談すれば適切なアドバイスが受けら
れる」ようなことをおっしゃっていただいた。
これは歓喜した。

このようにテレワークにかかわったお陰でどんどん人脈が広がっていった。

そして、3年前(平成20年)に、厚生労働省の委託事業でテレワーク普及の一
環として東京以外にもテレワーク相談センターを設置する事業を日本テレワーク
協会が受託した。

この事業を受託した協会から私のところへ相談があった。
テレワーク相談センターの相談員は社会保険労務士がよいだろうとのことで、大
阪は私の事務所になった。

協会は地方の社会保険労務士を知らないので、各地のテレワーク相談センター候
補事務所を探して欲しいと頼まれた。

私も地方の社会保険労務士はほとんど知らない。
しかし、協会の柴田事務局長が相当困っておられたので自信がなかったが引き受
けた。

愛知テレワーク相談センターは最終的に愛知県社会保険労務士会が引き受けてい
ただいたが、知人を通じて相談をもちかけた税理士事務所さんには大変ご迷惑を
かけた。お詫び申し上げます。

札幌の候補事務所も苦労した。
北海道社会保険労務士会からはあっさり断られた。
なんか訳のわからない怪しげな話しだと思ったかも知れない。

糸のような細い縁を頼りに候補事務所がみつかりご挨拶にもお伺いした。
しかし、最終的には札幌中央支部の支部長さんにお願いすることになった。

北部支部の支部旅行で北海道にいったことがあった。
このときに札幌中央支部と懇親会をしたのが縁である。
懇親会で「シュガー社員が会社を潰す」の著者で有名な田北さんにもお会いした。

福岡のテレワーク相談センターが一番苦労した。
まったく宛てがない。
福岡県社会保険労務士会へ話しを持ちかけたが、北海道会同様あっさり断られた。

そこで、ある飲み会で一度だけお会いした、某大手銀行の九州統括執行役員に電話
した。
いきなりでかなり失礼なことだと分かっていたが頼る先がなかったので思い切って
電話したのである。
執行役員は快く引き受けて頂いた。
いまでも大変感謝している。

なんとか福岡テレワーク相談センターの候補事務所も決まった。
いろんな方々に大変ご迷惑をおかけした。
深くお詫び申し上げます。

つづく

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中島康之 開業物語 第15話(その3) テレワーク相談センター

2011 - 07/29 [Fri] - 08:31

中島康之 開業物語 第15話(その3) テレワーク相談センター

(その2)から続く

社団法人日本テレワーク協会の部会へ当てもなく自費で部会に参加を
続けていた。
回数を重ねるごとに部会参加者と徐々に親しくなってきた。

東京へ行って感じたことだが、部会参加者には結構大手の会社が多かった
が担当者間は結構フランクで見た目は仲が良かった。
これは結構以外だった。
IBM、東芝、富士通、富士ゼロックス、NTT、NEC・・・皆さん
一流企業ばかりである。

そんな中で、社会保険労務士が珍しかったのかいろんな質問を受けた。
労働時間制や労災の質問である。

協会からもテレワーク相談センターへくる質問の対応で私の所へ相談が
増えてきた。
何故なら、テレワーク協会にかかわっている社会保険労務士がほとんど
いなかったからである。(実際全くいなかったと思う)

いろんな質問にでき限り対応した。(当然無料である)

そんなことが続いていて「なんか利用されてるかなぁ~」とも思っていた
が、パートナーの西川からも「東京には社会保険労務士はいないんですか?」
とも言われた。

返す言葉がない。
自分でもそう思っているからだ。

協会からの質問にできる限り丁寧に回答をし続けた。

そんなことが続いていたが、ある日協会からこんな声がかかった。
「在宅勤務導入の手引きの作成を厚生労働省から受託したんですが、労働編の
ところを中島さんにお願いできませんか?」とのことである。

詳しく話しを聞くと、厚生労働省の受託事業で在宅勤務導入の手引きを作成す
ることになったので編集委員をお願いしたいとのことである。

私としては名誉なことなので喜んでお引き受けした。
平成16年頃の話しである。

協会に入会し、東京へできる限り部会へ参加して3年経った頃である。

当時の編集委員は
委員長 森戸英幸(成蹊大学法科大学院教授:当時)
委 員 北浦正行(社会生産性本部 社会労働部長:当時)
委 員 木谷 宏(ニチレイ総務企画部人財チームリーダー:当時)
         ※現在、学習院大学教授
委 員 高井俊明(富士ゼロックス 人事労政グループ長:当時)
委 員 二見直樹(日本オラクル人事本部 マネージャー:当時)
委 員 吉田憲正(テレワーク協会専務理事)

このほかに厚生労働省から課長補佐、室長補佐、指導係長が参加しての編集
委員会であった。

編集委員会には確か4回参加したと記憶しているが、参加の度に極度の緊張
状態であった。
厚生労働省の役人と直接話しするのも初めてであった。

何かが得するからといった目当てもなく自腹で東京へせっせと通っていたが
神様がちゃんと見てくれていると信じた。
つづく

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