儲かる「開業」社労士を目指し、塾長 中島 先生のもと、相互研鑽に努める中島塾がタイムリーな話題をお届けします。 社労士開業をして間もない人、これから開業を考えている人、我々と一緒に頑張りましょう!!

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中島物語 第32話(自転車ペシャンコ事件)

2014 - 01/05 [Sun] - 10:02

第32話中島物語

「中島物語」の読者には大変申し訳なかったとお詫び申し上げます。
約3年振りに中島物語を再開し第32話を書きます。
第1話から第31話までは「中島塾」ブログの「カテゴリ」「開業物語」を見て下さい。

時代は平成10年4月の頃である。
それまではこじんまりとしていた都島区の桜小橋近くにある事務所からを移転し北区西天満の「大阪司法ビル」205号室に移転した。
移転前の「日建京橋ビル」には大変に世話になった。

第32話(自転車ペシャンコ事件)
その日も夜遅く仕事をしていた。
なにやら外がやかましい。
事務所は3階なので窓から外をみると若い連中が騒いでいる。
たぶん酔っているのだろう。
そうすると、私の愛車(自転車)をブンブン振り回している。
「オイ止めろ!」
と怒鳴りたかったがなんせ奴らは若くてそして酔っている・・・・
関わらない方が良いと判断した私は「ワイワイ」騒いでるのを聞きながら仕事を続けた。

当時私は実家が都島だったので夜遅くなるとよく実家に泊まった。
私の妻も「あんた遅くなるなら都島に泊めてもらったら・・通勤時間助かるやん」
の言葉に甘えて事務所から近くの実家によく泊めていただいた。

その日も都島の実家に泊まったが、翌朝事務所前に着いたら絶句した。
なんと、my自転車が「せんべい」のようにペシャンコになっているのである。

いまから思うとその写真を撮っていたらと思うが、本当に「ペシャンコ」になっていた。
ロードローラーに牽かれたようだった。

この自転車は、実家の父親が「お前この仕事するなら自転車要るやろう~」
といって貰った当時時代遅れのミニサイクルで前に大きなカゴが着いている代物だった。

この自転車に乗るのはある意味勇気が要って、今から思うと山中さんに「この書類顧問先に届けて欲しいけど近くやから自転車で行ったら?」と言うと「大丈夫です!」と言って「顧問先に走って」行った。
山中さんはたぶん「恥ずかしくて嫌ややったから」乗らなかったと思う。

つづく

yn

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中島康之 開業物語 第三十一話「事務所移転」

2012 - 02/21 [Tue] - 23:24

平成10年4月にいままでこじんまりとしていた都島区の事務所
を移転した。
移転先は北区西天満である。
北区西天満にある「大阪司法ビル」の205号室である。

事務所移転には経緯があった。

当時の社労士支部所属は、昔の東北支部だったが移転によって
北部支部に移るのである。

「森垣先生~僕・・・事務所が手狭になったので移りたいと
思ってます~」
当時、東北支部の事務局長をされていた森垣先生に相談し
たのである。
私も事務局員という立場であったし、ずいぶん森垣先生には
お世話になったから黙って事務所移転するには不作法だから
である。

そうすると、森垣先生は「私も事務所が手狭になったから
移りたいと思っているのでちょっとまち!」
の一声で移転するのを待っていた。

森垣先生には仕事のお世話もずいぶんいただいて、また事務
局のおつき合いでもずいぶんお世話になった。
それからだと思うが「中島さん!私も移るから一緒に探そう!」
とのお言葉には涙が出るほど嬉しかった。

森垣先生といくつかの事務所を見学もした。

詳細なことは守秘義務もあるので省きますが、平成10年に
大阪市北区西天満の大阪司法ビルに森垣先生と一緒に移転
したのである。
隣どうしだから助け合いもできることもあって・・・?
現実には書籍の共有(助け合い)もあったと思いますし
守秘義務に抵触しますから書けませんが社労士の仕事を
ずいぶんお世話頂きました。
森垣先生にはいまでもお世話になっておりいつも感謝
しています。

話しは変わりますが、平成9年4月から私の事務所にきて
いただいてる山中さんには事務所移転の煩わしい作業を
していただいて本当に感謝しています。
手狭な事務所と思っていたがダンボールに入れるとビッ
クリするような量の書類があったのですがそんな整理を
山中さんにしていただきました。

私は今でも思うのですが、手狭な都島区の事務所に比べる
と天国のように広い事務所に思いました。
山中さんに聞いたと思いますが当時は良かったという
返事だったと思います。
西天満に移転した経緯はこんな感じでありますが、実は
山中さんに大きな負担をかけたのです。

でも、売上が急増した(たぶん1年で700万円増)に
なったのはこの年だけだと思います。

この話しの続きはまた回以降にします。
中島康之



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中島康之 開業物語 第三十話「依頼者からの業務の責務」

2012 - 02/19 [Sun] - 00:05

開業して何年目の事か忘れてしまったが、山中さんに豊中社会保険事務所に
走って行ってもらっていたと記憶しているし、確か事務所も西天満だったと
記憶している、

ことの始まりはある人から紹介され新規適用の手続きをしたことであった。
紹介された方は、前の会社から独立したという。
会社は守口法務局出張所の近くで京阪電車で何回も訪問した。

依頼は社会保険に加入したいという。
手続き書類を整えてもらい新規適用の手続きは無事に終わった。
ところが報酬をなかなか支払っていただけない。

その方(まあ社長なんだろうが・・・)は事業を立ち上げたばかりでいま
まとまったお金がないという。
暫くすると事業が順調にいく手はずなのでもう少し待って欲しいという。

・・・・・それとこれはちゃうんじゃないの?

仕方がないので暫くまっていた。

そんなとき連絡があった。
従業員を雇い入れるというのである。

その従業員を一緒に連れて事務所に訪問された。
社会保険の手続きをして欲しいと言うが、労災の説明をすると手続きを
して欲しいという。
今度は労災・雇用の新規手続きをしなければならない。
前回の新規適用の手続き報酬はまだ支払ってもらっていないが、労災
事故が起こっては責任問題になるので急ぎ手続きをした。

・・・・・また報酬を支払ってもらえない。

何かの依頼があって守口の会社に訪問したがなんと!
「車が新車になっている」のである。

なんか言い訳めいたことを言っていたが・・・なんでや!
と思った。

そう言えば、まえの会社は共同経営だったが相手が変な奴でトラブルに
なって分かれたんや!と言っていたことを思い出した。
相手に訳の判らない理由で訴えられているとも言っていた。

その時に思った。
「実は変な奴はお前なんだな・・・・」

社会保険の新規適用手続きのときにこの方が無保険であるのが
わかったが、なんと前の会社の健康保険をそのまま使っているとのこと
である。
しかも入院してたとのこと・・・・
当然に国民健康保険の手続きをしている訳がない。

私はその方に「これは全額支払わなければなりませんよ」と言った。

その方が「なんとかならんもんですかね~」
と情けない物腰で懇願するのである。

健康保険の任意継続期間を過ぎてしまっている。
大慌てで豊中社会保険事務所と掛け合った。
入院中で手続きができなかったという理由を持ち出して社会保険事務所
の課長に陳述し理解してもらった。

「申立書」を作成し豊中社会保険事務所で受け付けることができるよう
になりそうになった。
課長は「入院していて手続きできなかったのは判りますが、親族はいま
せんでしたか?」と尋ねられた。

奥さんとは離婚していたが娘さんがいてた。

遠方にいてると説明すると承諾していただいた。
嫁さんとは相手が悪く別れたと言っていたが・・・本当は嫁さんに
愛想つかれたに違いないと思った。

こまかなことは忘れてしまったが、課長から直ぐに窓口へ保険料を
持参して支払ってもらわなければならない・・・ような事情だった
と記憶している。

その方は今手元にお金がないと言う。

そこで、そのお金を立て替えて事務の山中さんに豊中社会保険事務所
へ納付しにいってもらった。

課長は山中さんに「このような方は納付期限をよく忘れられるので
方々忘れないよう伝えて下さいね」と言ってたと聞いた。

いまでもその時の課長には感謝している。

しかし・・・・・・
この方とはとうとう連絡しても連絡がとれなくなり音信不通になった。
会社も移転したのかなくなっていた。

新規適用の手続きの報酬どころか立て替えた任意継続保険料も
踏み倒されてしまった。

・・・・

実は車が新車になったときに感じていたのだが、まさか立て替えた
任意継続保険料まで踏み倒されるとは思っていなかった。

人を信じる・・・・依頼があった仕事の責務

中島康之

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中島康之 開業物語 第二十九話「開業3年目に入った頃・手帳の記録」

2011 - 11/18 [Fri] - 21:30

中島康之 開業物語 第二十九話「開業3年目に入った頃・手帳の記録」

1995年(平成7年)7月・・・開業3年目に入った。
その1週間の行動は・・・
7月3日(月) 9:00玉出社保(手続)~阿倍野職安(手続)~11:00東職安(手続)
       12:30事務所戻る A社より電話あり対応、T社H氏来訪、K社tel
       あり対応
       城東社保(手続)事務所戻り、D銀行年金相談顧客の件でTELあり
7月4日(火) 8:30N社社長TELあり~枚方社保・枚方職安(手続)
       12:30事務所戻り、T社社長へTEL、14:00K社訪問~M社訪問 
       15:00D社訪問
       15:30事務所戻り、H社TELあり・・・夜・木曜懇親会へ出席
7月5日(水) 午前中(事務所内業)・PM社社長TEL、郵便物発送(その後手帳の
       記録なし)
7月6日(木) 午前中4社電話対応・PM手帳記録なし
7月7日(金) 9:00I社部長TELあり、10:00T社訪問・13:00U社訪問14:30市岡
       社保(手続)~堀江社保(手続)17:00D社訪問、~旭屋書店
7月8日(土) 10:30D社訪問~12:00 13:30社労士M先生~

手帳を見るとこんな1週間であった。
サラリーマンの時代から手帳に行動したメモをする習慣が身に付いている。
理由は2つある。
ひとつ目は、誰とどこであったか・どんなことをしていたのかを記録することで、
後から「○日にあなたに○○言ったでしょう」とか「あの日書類を渡しましたよね」
と言われた時にその状況を思い出すためである。
いわゆる「言った・言わない」の話しになったときにこちらの非を回避する目的で
ある。
手帳に行動の記録をつけていると大凡思い出すし、また非を咎められた時に対抗で
きるからである。
今までに3回は手帳の記録のお陰で助かった記憶がある。
二つ目の理由は、自分を励ますためである。
自分では一所懸命に仕事しているつもりである。
しかし、結果がでないときに日本海溝の深さぐらいに落ち込むのである。
(日本海溝みたんかいな!・・・とだれか突っ込む?)
そんな時に手帳を見るのである。
そうすると勇気がでてくるのである。
「俺は頑張っている!」「遊んでなんかいないぞ!」
時たま真っ白けの日がある。
手帳に記録するのを忘れているのである。
そんな時は落ち込んでいるのがなかなか立ち上がらない。
「俺は遊んでいたんだろうか?」という自戒するのである。
誤解しないで欲しい。
本当に遊んでいたらそのように記録していたら、それはそれで納得できるのである。

売上をあげるコツ
「自分を励ますツールを持つこと」

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中島康之

中島康之 開業物語 第二十八話「開業2年・新事務所」

2011 - 10/16 [Sun] - 20:28

中島康之 開業物語 第二十八話「開業2年・新事務所」

パートの方が来てくれてずいぶん事務整理が楽になった。
毎週木曜日だけでも助かった。

給与は時給だから経費は知れている。
私は、タイムレコーダーをいついれたか忘れてしまったが、たぶんパート一人の
ときからタイムレコーダーを購入したと思っている。

何故なら、開業当初から目標は「組織」になりたかったからである。
組織とは「会社」「有限会社」(当時)などいわゆる「会社」になりたかった
からだ。
タイムかレコーダーの話しをすると長くなるのでこの「話」はしないではしないで
おく。・・・重要なんだが。

社会保険労務士業では当時法人組織はできなかったので、見かけだけでも組織
らしくみせたかった。

だから開業当初から事務所名は「NSR労務コンサルタント事務所」にしたので
ある。
個人でしている社会保険労務士事務所と思われたくなかったからである。

読者にも考えていただきたい。
なぜ「個人でしている事務所名」ではだめなんだろう・・・・

答えは、この中島康之開業物語を続けて読んでいただけると判ります。

さて、週一日のパートさんが来てくれてずいぶん楽になったが、欲がでて他の曜日
にもきて欲しくなった。
木曜日のパートさんは、家庭の事情があって「木曜日」しか出れない事情があった。
そこで、損害保険会社の知り合いに「だれかパートにきてくれる人いないですか?」
と聞いてみた。
他にもいろいろ聞いいたのだが、この損害保険会社の方(代理店)が「中島さん、
パートできるっていう人いてますがどうします?」と直ぐに連絡があった。
「是非お願いします」と即答した。

条件などお伝えし、先方もOKだったので面談もせず直ぐに来て頂いた。
当初の約束は「月曜日」だったと記憶している。
それが、その後お願いしてその方に月曜日と火曜日、水曜日と週に3日きていただいた。

器量がよく『美人』だった。

きていただいてから聞いた話であるが「・・・美人コンテスト」に賞を貰ったと言ってた。

ある顧問先に書類を届けに行ってもらったことがある。
しばらくしてその顧問先の事務員さんが「女優さんがきたと思った」と言ってた。

しばらくしてから、金曜日にも別のパートさんを来て頂いて、1週間をなんとか埋まった。
埋まったのは良いけれど、事務引き続きに問題があって困るのである・・・

美人のパートさんは事情があって、平成9年2月に退職するがこれが大きな転機になるので
ある(つづく・・・)

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中島康之

中島康之 開業物語 第二十七話「開業2年・新事務所」

2011 - 09/25 [Sun] - 19:50

中島康之 開業物語 第二十七話「開業2年・新事務所」

平成7年7月・・・・開業して2年が経った。
顧問先は12件である。
月々固定的に入ってくる顧問料は「36万円」である。
しかし、7月の売上は80万円を超えた。その後70万円台が続いた。
第23話と同じ(平成7年1月)ことが起こった。
従長に推移していた売上が平成7年11月には売上50万円台に落ちた。
理由は「営業」ができていないからである。
平成7年1月に落ち込んで「これではいかん!」と奮起して営業したので盛り返したがまた同じ事が起こったのである。
売上と営業は6か月ぐらいのタイムラグがあるが密接なのである。
忙しくなると営業が疎かになる。(忙しいときは精神的には楽である)
しかし、売上が落ち込むとブルーになる。
だからまた売上に精を出すのあるが限界がある。

私が開業したときにいわゆる「開業本」を読んだ。
その書籍は手元になく著者も判らないがその本に「売上70万円になったらパートでも構わないから従業員を雇うこと」と書いてあったと記憶している。
そこで私は、その本のとおり週に1回(木曜日であるが)パートを雇った。
何故なら書類の整理をして欲しかったのである。

顧客ごとにファイルを作成し手続書類の控え(コピー)を綴じていたのだが、仕事が立て込んでくるとその整理ができなく、顧客から「○○さんの健康保険証はどうなっていますか?」と問い合わせがあると、まず私のところで「いつ」手続きしたかを確認しなければならない。
その控え(コピー)を探すのに時間がかかった。
だから、書類の整理をして欲しかったのである。(当時はアナログ時代であった。もっというとポケベルの時代である。)

週に1回(木曜日)でもに書類の整理をしてもらったらかなり助かった。
電話対応もサクサク対応できたからである。

さて、従業員の賃金であるが平成7年の途中からであるが支払った賃金は17万円弱である(半年間)
これが、翌年(平成8年)には130万円弱になるのである。

平成7年の売上は870万円だったが、翌年の平成8年には1,300万円になった。(開業3年目の年である)

いまから思えばこれには理由がある。
週に1回のパートさんは、子どもさんの事情があって木曜日にしか来れなかった。
ぞこで、知り合いをつうじて月曜日にきていただけるパートさんをゲットした。
これはずいぶん助かった。
そこでこの月曜日だけのパートさんに「もっとほかの日も来れないですか?」とお願いした。
売上とまったく合っていないが必要だと思ったからだ。
そうすると「火曜日と水曜日は来れます」とのことだったので、このパートさんに月曜日、火曜日、水曜日をお願いした。
当然、手続きにも行ってもらってる。
ずいぶん助かった・・・事務作業は助かったが、それ以上にこの賃金に見合う大きな効果は私が「営業」にその分時間を費やせることだった。
つづく・・・

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中島康之 開業物語 第二十六話「開業2年・スポット契約」

2011 - 09/19 [Mon] - 14:38

中島康之 開業物語 第二十六話「開業2年・スポット契約」

第二十五話の補足をしておく。
スポット契約のことである。
これはあくまでも『取りこぼさない』営業方法である。
社員が数名のところに顧問契約を提示しても経営者は顧問料に価値観を感じるだろうか?
先方から顧問契約の話しがあった場合でも『社長・・・それほど出入りもないでしょうから別に顧問契約しなくて構いませんよ!用事があるときに声をかけていただいたら私の所はそれで構いません。』と差し向けると『そうでっか!そんなんでよろしいでっしゃろか?そんならそうしますわ!』とほとんどの方がそう答える。
これはせっかくの顧問契約のチャンスに顧客を逃したのだろうか?
それは違う。
人間の性で、一度頼んだとことは少々高くても「安心感」や「新しいところに依頼する不安」を感じて前回依頼した同じ所に依頼するものである。
だから一度手続きをすると顧客は必ずリピートする。また長続きするのである。
このような考えはどうだろうか?
スポット契約で年に1度手続きを依頼してくる会社があるとする。
このような会社が12社あれば1社顧問契約したと同じ・・・という考えである。
何を言いたいかであるが、決まり切った定番営業ではなく『柔軟に対応できる』ということを言いたいのであり、顧客の『ニーズ』をいかに汲み取るかである。
しかし、我々の営業の基本は『顧問契約』であることに違いなくスポットはあくまでの二次的営業なのである。
このようなことを言っているが、つい最近、算定基礎・労働保険年度更新を込みにした顧問契約を締結した。

さて、スポット契約(単発依頼)の良いところであるが、これは労力と対価がある程度比例することである。
いまは廃止になった昔の大阪府社会保険労務士会の料金表をベースにして独自の料金表を持っているが、当時は、廃止になった料金表を使っていた。
例えば、廃止になった料金表では入社手続きは「15,000円」となっている。
社会保険と雇用保険は別であるから1名で30,000円になる。
このまま提示すると割高感があるので値引きのである。
値引率は紹介者のある場合や依頼者の懐具合を見ながら決める。
そうするとたいがい『えらいまけてくれはったんですな~すんまへん!』と言われる。
ただ値引率を決めるのは難しく、時々(ほとんど)失敗する。
どのような失敗かというと依頼者の思いより値引きし過ぎるのである。
また顧問契約で失敗するのは、報酬に合わない依頼件数が多いケースである。
これに対してどのようにするかであるが顧問契約を自動更新しないのである。
しかし自動更新しなければ・・・(つづく・・・)

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中島康之 開業物語 第二十五話「開業2年・スポット契約」

2011 - 09/17 [Sat] - 19:58

中島康之 開業物語 第二十五話「開業2年・スポット契約」

私が開業当初から考えが変わらない『営業方法』がある。
それは「スポット契約」である。
スポット契約とは聞こえは良いが、別に契約する訳でもなく要は単発依頼の仕事である。
代表的なのは「労働保険の年度更新」である。
社会保険はそこそこ規模でなければ加入していないが、労働保険はパート従業員一人でも加入しなければならない。
開業1年目から売上が上がり、2年目も上がった。
顧問契約も増えてはいるが並行して「単発依頼の仕事」も増えたからである。
私は社会保険労務士の業界のことは全く知らずに飛び込んだ。
しかし返ってそれがよかったかも知れない。
例えば、算定基礎届の手続きとか年度更新の手続きとかは『当然』に顧問報酬とは別にいただくものと思っていた。
知らないとは「恐ろしい」ことである。
これは後から知ったことであるが、算定基礎届や年度更新は顧問料に含めている同業者が多いことである。
私は業界のことを知らず、自分流(当時あった大阪府社会保険労務士会の料金表をベース)にやってきたが、顧問報酬に含めている同業者が多いのに少なからず社労士カルチャーショックを受けた。
しかしどうだろうか?
月々の仕事と算定基礎届、年度更新は分けた方が良いと思う。
何故なら、顧客にその「労力」が伝わらないからである。
しかし、言い換えると普段はそれほど業務量がないけど手間のかかる「算定基礎届」や「年度更新」を顧問料に含めて『割安感』を抱いてくれるのは良いと思うが、労力のかかる「算定基礎届」や「年度更新」にどれほど価値観(私達が感じる労力)を抱いていただいているかである。
当初はそうでも、年数が経つと『当たり前』になって挙げ句の果て顧客は『先生はなんにもしてくれない』に成りかねない。
だから「スポット契約」の考えがある。
顧客は入社・退社、算定、年度更新は苦にならないが『離職票の作成』だけ煩わしいと思っているかも知れない。
現におつき合いの古い顧問先で「社会保険は顧客先でハローワークの手続きは顧問契約」の先もある。
肝心なのは顧客が何を望んでいるのかである。
それを、『社会保険労務士は【手続きはすべてまかせて下さい】の考えは間違っている』と考えている。
つづく・・・

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中島康之 開業物語 第24話「開業1年10月・新事務所」

2011 - 09/07 [Wed] - 21:10

中島康之 開業物語 第24話「開業1年10月・新事務所」

開業して1年10ヶ月目に、開業当初から念願の事務所移転をした。

小さいながらでもmy事務所である。

場所は都島区東野田町の「日建京橋ビル」の3階である。
広さは8畳ほどで、机と本棚を運び込むと小さな打合せテーブルを
置ける程度であった。

自分の机とイスは中古品で本箱と事務員用の本当に小さな事務机は新調
した。
いまでも自分の机はずっと中古品である。

第23話で、『何故無理をして事務所移転を早くしたかったのには理由
がある。』と書いたが、この理由は2つある。

一つ目は、自宅(実家)開業のときに少ないお客さんであるが「事務所に
伺います」と言われたことである。
それまではなんとかとり繕って事務所(自宅)には来て貰わないよう
していたが、あるお客さんにどうしても断り切れなく仕方なく自宅(実家)
に来てもらったのである。
この時に「早くmy事務所」を持ちたいと痛感した。
このお客さんは、某テーマパークの総務部長さんだった。
この某テーマパークの仕事で後日「大変な事態」が発生するのだが・・・

二つ目は「顧客獲得」のためである。
我々の仕事には「目に見える商品」がない。
知識とノウハウが売りなのである。
しかし初対面のクライアントは実際に仕事を頼んでみないと分からない
のである。
この点、依頼者を紹介して下さる場合は紹介者の力でなんとかなる。

そうすると依頼者はどこで我々を品定め判断するかである。
まず経験年数が挙げられる。
これは開業年数を誤魔化すことができないので如何ともし難い。

次ぎに大切なのは見かけである。
よれよれのスーツを着ているよりはパリッとしたスーツを
着ている方がなんとなく印象が良いはずである。

高級なスーツを着る必要はない。
いまでもスーツのズボンの折り目には非常に気を遣う。
スーツのズボンがシワシワではいつまでたってもお客さん獲得は
できない。

靴もそうである。
靴が汚れていては顧客獲得は見込めない。

靴下もそうである。
顧客先では、靴を脱いで事務所に入ることもある。
すり切れている靴下はみっともない。

ある公認会計士さんからこんな話しを聞いたことがある。
高額な生命保険の契約をした時のことである。
生命保険会社の社員が高額な生命保険契約書を作成し出した時に
100円ボールペンで書こうとしたらしい。
この公認会計士さんは『君なぁ~。○○○額の商売をするのに
100円ボールペンを使うのか!なにも数万円のボールペンを持て
とは言わないが100円ボールペンはいかんだろう!俺の命はそん
な安っぽいのか!』と叱咤したそうだ。

我々も書類1枚作成して数千円あるいは数万円の報酬をいただく。
ボールペンにも気を遣うようにした。

さて、事務所であるが依頼者が我々を品定めする材料の一つに
事務所(場所や広さ等)を持っているかどうかを判断している
ことは間違いない。

「事務所を持つ」のは営業戦略なのである。

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中島康之 開業物語 第23話「開業1年10月・事務所移転」

2011 - 09/01 [Thu] - 20:46

中島康之 開業物語 第23話「開業1年10月・事務所移転」

開業1年後に売上が急に上がった。
正確には、開業後13ヶ月後である。

それまでの月々の売上が20万円を越えたり越えなかったしていたが、
一気に40万円を越えてそれ以後40万円は下らなかった。
売上の内容は顧問先が増えたからではない。

売上が急に上がった理由に営業のスタイルを変えたとお話ししたが、実
はもっと大切なことがある。

仕事をいただくと、嬉しくって仕事にかかりっぱなしになる。
何故なら、仕事がないときは「営業」しかすることがなく、明けても暮
れても「営業」ばかりである。
そうすると精神衛生上よくないことが起こる。
「落ち込みむである」・・・・営業しても結果がでないからだ。

そんな中少しばかりの仕事が入ってくると「かかりっぱなし」になるの
は「すぐに結果が出ない営業」よりずっと楽だからである。精神的に・・・

1年経ったときに売上が急増したが、これは「営業の結果」なのである。
紹介も結構いただいたが、じっとしていて紹介いただいた訳でもない。

すこしづつ売上があがっていったが、半年後(平成7年1月)に売上が
落ちるのである。

これにはものすごく危機感を感じた。
「仕事ばかりにかかりっきり」になっていて営業が疎かになったからだ。

実は売上が下がることは数ヶ月前に気がついた。
何故なら手持ちの仕事の案件が終わっていくとだんだんと仕事が楽にな
ってきたからだ。
要は仕事をこなしていくと次の仕事が入ってこないから仕事が楽になる
のである。

これに気づいた私は焦ってまた営業活動を始めたのである。

ダイレクトメールも送った。これもそれなりに効果があった。

開業して1年半後に売上が下がったが、2年にさしかかる前には持ち直
して月の売上が70万円台を突破した。

開業して1年10ヶ月目である。

そして、開業当初から念願の事務所移転を考え出した。
考え出したのは平成6年の年末からである。
まだまだそんな余裕がない時である。
そして現実に自宅開業(実家開業)を脱し、小さいながら自分の事務所
を持ったのが忘れもしない平成7年のゴールデンウィークである。
家賃を支払っていくあてもなかったが無理をして事務所を移転した。
当時の家賃は8万4千円だったと記憶している。

ここで忘れられない恩人がいる。
前職の先輩である中井さんだ。
私が開業してからずっと「中島頑張れよ!」といつも応援してくれてい
る。
中井さんの応援は心の支えになった。

何故無理をして事務所移転を早くしたかったのには理由がある。
つづく・・・・


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